昔も今も変わらないよ。

大正~昭和から平成・令和と時代が移り変わってきましたが、仕事の進め方や考え方など、僕の感覚から言わせてもらえば昔よりも今の方が面倒くさい。と言うのが僕の意見なんです。今日はこの「昔も今も変わらないよ」と言う事について書きたいと思います。

本当に時代の流れと言うか考え方なのか、この情報が氾濫していることが、ある意味、悪さをしているように思います。「若い世代にチャンスを!若い世代にチャンスを!と言われてもう何年も経ってますが、「「本当に世の中が変わりましたか?」」変わってないんです。

でも、何故?変わらない?

それは・・・「お互いの信頼関係が築きづらい時代になっている」だから時代が進んでも変わらない原因だと思うのです。

これは誰が悪いと言うわけではなく世の中の風潮が「自分さえよければ良い」と言うような悪しき流れもさることながら、あまりにも合理化だ!生産性だ!と言う事で、言葉は悪いのですが、何でもかんでもマニュアルや規則を作って、会社自身や働いている人たちを束縛し過ぎた結果だと思うのです。

ひと昔であれば、会社組織の中で部長・課長と言う管理職の個性がその部署の個性になっていたように思います。あまりにも部長・課長の個性が強いとそれはそれで反発も出ますが、それが逆に会社としての活力にもなっていたように思います。

・俺が部長や課長になったらあいつらとは違うやり方でみんなを引っ張っていくぞ!

・今は実力がないから悔しいけど、もっと勉強してあいつらを超えてやる!

って言う反発心があったような気がします。

会社もそのような「バチバチ」した所を容認していたように思います。結果的にこれが「緊張感」だったり「仕事に対するやりがい」さらに言えば「仕事に対する創造性」に繋がって行ったように思います。

ある意味、年功序列って全然OKだと思うのです。「人の振り見て我が身を直せ」と言う諺がありますが、個性の強い上司を見るのもいい経験ですし、そのような個性が強い上司の下で働く時間も決して無駄ではないのです。

ただ、これは雇う側、雇用される側、双方に言えることなのですが、雇用される側の待遇が規則や法律などで良くなれば、そこに係るコストは雇う側が負担する事になります。そうすると雇う側は、合理化や生産性などを掲げて法律に乗っ取ってリストラなどを断行することになるのです。

結局、そこに生まれるのは「不安や不信感」なんです。まさしく悪循環で、会社としても活力が削がれているのです。良くビジネス雑誌で将来性のある魅力の会社は?と言った内容を見ると、その中に日本の企業名がないことが分かります。

ここ数十年は、労働に関する規則や法律などがさらに整備されて、一見、良い方向に進んでいるようにも見えますが、見渡すとみんなが権利の主張を言い出す始末で、本当に良かったのかな~と言う思いが強いです。

それぞれ捉え方は違うかも知れませんが、働いている中でどうすれば「安心感や信頼感」を得られる環境が作れるのか、そこを起点にもう一度みんなが持っている権利を見直すことで、もっと簡素化して最低限の規則だけを決めて、後は「自由」でいいのです。「自由」を与えれば自然と「責任感」と「使命感」見たいなものが一人一人に生まれて自然と良い方向へと向かうものなのです。

今日はここまでです。最後まで読んでくれてありがとうございます。

今日も一日良い日でありますように。

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