作業になってしまっている

自分

「作業になってしまっている」どう言う事??と思ってしまいますが、今日は、このテーマで書いてみたいと思います。

よくコンビニやスーパーなどで買い物をしていると「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言われますが、その時の従業員さんの態度を良く見て下さい。

単純に、それが職場のルールだから言っているだけの人、今日もお客様がお店に足を運んでくれて有難いと感じて、その気持ちを言葉に込めて言っている人に分かれると思うのです。

言葉のトーンにも現れてきます。

職場のルールだから言っている人は、トーンも低い、やる気があるのか、ないのか?良く分かりません。

逆に

気持ちを込めて言っている人は、トーンも明るいですし、何でも話を聞いてくれそうな気がするのです。

態度にも現れてきます。

職場のルールだから言っている人は、相手の目も見て話そうとしません。

逆に

気持ちを込めて言っている人は、相手の目を見て話そうとします。

一般の会社でも同じことが言えます。

・職場のルールだからと言って働いている人は、そこには感情があまりありません。相手が間違っていようがなかろうが、淡々とルール沿って仕事をしています。

・気持ちを込めて働いている人は、ちょっと気付いたことがあればやんわりと指摘してくれるのです。又、相手の声のトーンやしぐさを見て変だなと感じたら「どこか体調悪いの?」と心配の声も掛けてくれるのです。

仕事を単純な作業として捉えてる人と気持ちを込めて仕事している人の大きな違いは全体を見回しながら些細な事でも目配り気配りが出来るか出来ないかの違いなのです。

介護の世界でもそうです。

おばあちゃん、おじいちゃんの話し方やしぐさを見て、何か今日は調子悪そうだなと考えられる人と、いつもどおり淡々と仕事をしている人では大きな違いが出て来ます。

今日はちょっとおばあちゃん、おじいちゃんの調子が悪そうだなと感じて仕事している人は、「どこか調子悪いの?」と囁きながら相手の調子に合わせて寝かせてあげたり、移動の際は、なるべく身体に負担を掛けないように車椅子に移動させたりします。

逆に

淡々と作業として仕事を捉えている人は、おばちゃんやおじいちゃんのちょっとしたしぐさに気付きませんから、いつもどおり淡々と仕事をしてしまいその結果、身体に大きな負担をかけてしまっていることがあるのです。

このような事もあります。

最初の内は気持ちを込めて仕事していたのに、「忙しいから」「面倒くさいから」「大変だから」「時間がないから」を理由に徐々に気持ちをいれず、いつもこれでやってきたと言って知らず知らず作業として仕事をしてしまい。結果的に大きなミスを犯してしまう場合もあるのです。

仕事はどんな仕事でも「人と交わらない」仕事なんてありません。だからこそ、分かる人には分かるのです。この人は気持ちを込めて仕事してくれているか否か。そもそも仕事に単純な仕事ってないと思うのです。それをルールを決め作業として淡々とやろうとするから無理が出て逆に仕事が辛くなるのです。そもそも仕事のトラブルが起きたり、相手を不快にさせてしまうのも、これが原因ではと思うのです・・・

さらに言えば、作業として淡々と仕事をしていると、仕事に対する楽しやおもしろみは感じられないと思うのです。僕は仕事の中で感じた「楽しさ」や「おもしろみ」の中から、色んな興味が溢れてきて、結果的に「もっと○○したらこの仕事がよくなるんじゃないか。こうしたらもっとこの商品売れるんじゃないか。」と言う発想が出ると思うのです。

煩わしい人間関係が嫌なので、決められたルールの中で、作業として淡々とやりたい気持ちは分かりますが、そこから脱していかないと自分も成長出来ないと思うのです。社員、パート、派遣とか立場は関係ありません。それぞれが仕事に対する向き合い方の重要性を感じなければ変わらないのです。立場が変わったらとか、他の仕事に変わったら、ちゃんとやるよ!と考えていても実際は変われないのです。毎日の中で少しずつ変えていくしかないのです。

もし、今、仕事が楽しくないとか辛いとか思っている人がいたら、「仕事が作業になっていませんか?」

今日はここまでです。最後まで読んでくれてありがとうございます。

今日も一日良い日でありますように。

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