生きていれば、その時その時で判断しなければならいない状況があると思います。どうしようかな?どうすればいいのかな?迷うのが当然だと思います。
今日は「迷い」をテーマに考えていきたいと思います。
物心がついて自分たちの意思を言える時から、些細な事でも「迷い」ってあったんじゃないかと思います。
「●●ちゃんに告白しようかな?」ドキドキ!(迷い)
「△△高校を受験しようかな?」大丈夫かな?(迷い)
「志望大学に合格しなかった。これからどうしよう?浪人しようかな?違う道を行こうかな?」(迷い)
「この会社で一生働いて大丈夫かな?転職しようかな?」(迷い)
「彼女はいい子だけど、このまま結婚してもいいのかな?」(迷い)
・・・と人それぞれ「迷い」は尽きないと思います。
親や友達に意見を求めるのは、僕は「アリ」だと思います。でも最終的には自分で判断しなくてはなりません。その為の判断材料と思えば何ら問題ないのです。
仮に最終的な答えが「保留」でも構わないと思うのです。それも判断ですから。
但し、迷った挙句に自分の下した判断が「自分の思った結果と異なった場合」には「後悔」せずに、少し時間を置いた後に「この時の判断の評価」をして欲しいのです。
「迷う」と言うことは、それだけ真剣に考えている裏返しなのです。僕が何故?後悔せずに少し時間を置いた後に「この時の判断の評価」をして欲しいかと言うと、結果を求めすぎるあまりに、次に「迷い」が生じた場合に得てして、短絡的な考えで間違った判断をしてしまう可能性が高いからです。だから少し時間を置いて欲しいのです。
人の評価もしかりですが、自分自身の評価も時が経てば変わるものです。さらに時が経てば忘れてしまうか?あるいは、結果オーライとなっている場合がややもすると結構あるのです。
最後に「迷い」に年齢制限はありません。何歳になろうが?「迷い」は生じるのです。これが人生なんだと思います。
今日はここまでです。最後まで読んでくれてありがとうございます。
今日も一日良い日でありますように。
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